「71年前の8月15前後の記憶」(? 最終回)

敗戦から、毎日、引き揚の日を待っていた。
姉が主になって、テーブルの上で「コックリさん」をして占っていた。
3本の割りばしを上の方でむすび、〔「コックリさん」「コックリさん」と呼びながら、いつ帰れるでしょうか?〕など呼びながら,箸を動かした。
ようやく引揚が決まったのは、昭和21年7月に入ってからだ。
父が,各班(隣組)をまとめる役に着いたのか、その日から忙しく家にいるときも無くなった。
敗戦後、在留日本人を纏めていたのは、民間の有志である。

その前に満蒙開拓団の世話をしてくれた人がいた。
家に避難してきた人たちは、8月に入るとそれぞれ住んでいた街に戻