私は、食糧がなかった戦時を経験しております。サツマイモすら手に入らず、米ぬかのパンも食べて飢えをしのぎました。
江戸時代には、よく全国的な飢饉がありました。何しろ6公4民の年貢の時代です。多くの農民が餓死しております。
これを救った人物が青木昆陽ですが、おそらくご存知ない方が多いことでしょう。
日本橋の魚問屋の家に生れた昆陽は、早くから京都に行って儒者伊藤東涯に師事し、27歳で江戸八丁堀に私塾を開きました。
享保の大飢饉のとき、『蕃藷考』考を著わしサツマイモの栽培を勧めたのです。当時、中南米からヒルガオ科の甘藷が入ってきておりました。