都内・山の手は丘陵地帯

 江戸時代中期の江戸はすでに百万人を越える、世界でも指折りの都会だったそうだが、そのほとんどは下町界隈に住んでいた。神田、日本橋、深川、両国あたりだろう。大きな断崖のある上野の山から西は所謂山の手であり、大名の下屋敷か、はずれに農家ぐらいしかなかったようだ。「新編武蔵風土記稿」を読むとほんの僅かの人口だったことがわかる。地名も山や川といった、ありのままの自然を地名にしたところが多い。渋谷、赤坂、青山、六本木、四つ谷、高田馬場、幡ヶ谷、笹塚、代官山など枚挙にいとまがない。狸穴なぞはまんまで笑ってしまう。

 坂が多いことも特筆もので富士見坂、乃木坂、紀尾井