上野不忍池周辺を彷徨う、大黒天、弁天堂など、、

湯島天神は中に入らずに外側だけ、もう毛皮のコートを着ている人がいた、襟巻も太いのを巻いている、いよいよ寒さがやってきたようだ、まもなく紅葉も終わるだろう

不忍池の歴史:縄文時代の頃にはこの辺り一帯は東京湾の入り江であった。その後海岸線の後退とともに取り残されて、紀元数世紀頃に池になったと考えられる。

1625年、江戸幕府は、西の比叡山延暦寺に対応させ、この地に寛永寺を建立した。開祖である慈眼大師・天海は、不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえ弁天島を築かせ、そこに弁天堂を作った。

当初の弁天島は文字通り船で渡る島であった。しかし1672年に弁天島