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よくあるご質問

この大宇宙の中の小さな惑星・地球、誕生して46億年?! 人類が誕生して6億年?! 私はこの地球に生きてきた証(足跡)として残してきた75年の今日、私と同じ地球の空気を吸って来た有名人、著名人と言われる人々を訪ねてみようと思う・・・・。

 第17回目の人は、この人!


 【 日本 】 1944年2月11日  誕生

 № 17 清水 紘治  (75歳)

  京都府京都市左京区出身。
  活動屋所属  元妻は大谷直子  娘は女優の華子
  趣味はジャズ音楽

 父親は映画プロデューサーという環境で育ち、少年時代から映画などに出演していた。
 高等学校卒業後は、俳優座養成所の第14期生となる。
 
 同期に吉田日出子、佐藤 信、原田芳雄、有川 博、辻 萬長、らがいた。
 
 文学座の研究生を経て、1966年夏に「劇団自由劇場」を、串田、吉田、佐藤ら、14名とともに旗揚げ、その後佐藤と異色テントの設立にも関わるなど、いわゆる「アングラ演劇」
 (自由劇場の旗揚げ時に作った劇場が地下にあったため、そう呼ばれるようになった、といわれている)
で活躍。

 怪優とも呼ばれ、特撮作品の悪役としても有名である。
 
 本人は、温和な性格であるものの、個性的な演技のイメージが強すぎるために、そういう役はめったに来ない、と語った。
 演劇活動にとめどなくつぎ込む傾向があり、大谷直子との離婚の際は、これがげんいんしていると、報じられている。

 テレビドラマ、映画、舞台と活躍している。


 第18回目は、この人!

 【 日本 】  1944年2月17日 (誕生)
         2011年8月21日 (没)

  № 18   竹脇 無我   67歳

 俳優、千葉県我孫子市出身。アナウンサー、ニュース映画解説者をしていた竹脇昌作の3男として生まれる。

 青山学院中、高校を経て青山学院大学法学部卒業。
 家族の不遇が続く中、苦しくなった一家の経済状況を立て直すべく、映画界入りした。

 1960年松竹映画「しかも我等は行く」で俳優デビュー。
 1965年「アンコ椿は恋の花」で、初主演。
 映画「人生劇場」、テレビドラマ「姿三四郎」で一躍スターとなり、クールな二枚目のイメージを確立した。

 特に「人生劇場」では、高橋英樹、田宮二郎、渡 哲也
を抑えて主演を務めている。

 1960年代後半の「ヤング720」では司会を担当(この当時に知己を得た関口 宏、松山英太郎、西郷輝彦、とは晩年まで信仰があった)
 テレビドラマでは、森繁久彌、加藤 剛、との共演が多く、親交も深かった。

 49歳ころから、いろいろなショックとストレスにより、自殺の衝動を酒で抑え始め、心療内科の診察を受けて「うつ病」と診断され、抗うつ剤と睡眠剤でう都度が軽くなり、自身も周囲も病状を甘く見ていたため、再び落ち込みが激しくなり、また酒で抑える事態となった。

 糖尿病と高血圧症も併発し、再度入院。
 8年間の闘病生活の末に復帰。

 2009年に父と慕っていた森繁が亡くなったことによる精神的ショックもあり、以後再び落ち込みが激しくなり、うつ病と糖尿病、併発していた高血圧症も再び現れた。

 2011年8月21日自宅で、意識不明の状態で発見され、東京・大田区の東邦大学医病センター大森病院に搬送。
 脳幹出血の症状があり、同日14時5分、小脳出血により、大森病院にて死去。67歳。

 (家族)
 1970年に結婚。二人の娘が生まれた。10数年の別居後離婚。後年には、内縁の妻と同居。
 前妻、娘二人、内妻に看取られながら息を引き取った。


 人生劇場ではいい役者だったナ・・・・・。
 わたしより後に生まれて、早く亡くなった、おしい・・・・・・・。

カテゴリ:日常・住まい

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