著名な史跡ではないけれど ⑫ 幕府軍戦死者の墓

幕末、幕府は2度に亘って長州征伐を行った。最初は元治元年(1864年)だ。この年朝廷は「蛤御門の変」で御所に攻め込んだ長州藩の追討令を幕府に下した。長州藩は三家老を切腹させ、恭順謝罪したため、征長軍は不戦解兵した。

しかし長州藩内部では髙杉晋作などが実権を握り、外国から武器や弾薬を輸入、犬猿の仲だった薩摩藩とも提携、強大な戦力を蓄えて幕府との戦いに備えた。

慶応元年(1865年)秋、幕府は長州の不穏な動きに対して2度目の長州征伐を実行した。1度目との相違は幕府から朝廷に追討令を願い出たことだ。しかし優れた武器を揃えた長州軍に完敗した。そうしてその醜態