阿部正弘・雑感 (二)

その二
 日米和親条約締結までの阿部正弘

 弘化2年(1845)2月22日に水野は辞任、阿部正弘は老中首座になる。 
6月 オランダ国王に「開国のすすめ」を断り、「海防掛」を設置し各方面からの人材登用で外事強化を図っている。
 嘉永元年(1848)攘夷論者前水戸藩主水戸斉昭と連携、薩摩藩島津斉彬とも交流。
 嘉永6年(1853)6月 ペリー提督の米黒船艦隊が江戸湾来航。
開港・通商を求める。

 来年春のペリー再航までに阿部はどの様な対策案を講じたか?

 彼はアメリカの国書を公開し朝廷・大名・一般から意見を求めた。
その結果は攘夷鎖国派が大多数だった