日本最初の女子留学生

 明治4年11月12日 岩倉具視を全権大使とする岩倉使節団が横浜を出港した。不平等条約改正と西洋文明の見聞のためであった。
 この一行には、5人の女子留学生が同行していた。
これは北海道開拓使次官黒田清隆が、北海道に女子教育のための学校を作るために、アメリカ留学生を募集したのである。国費で10年間の留学というものであった。
 だが案に相違して、希望者はいなかったのである。
そこで外務省や開拓史の役人の娘が、応募させられた。それも維新時に幕府側だった人の娘が、差し出されたのであった。
 5人のうち2名は病気で帰国。
山川捨松(12歳)、津田梅子(8歳)、永