防空壕の思い出

昨日、秩父宮記念公園へ行ったら、戦争中掘られて防空壕が3ヶ所、宮家専用、侍従武官用、その他用が補修されて公開されていて、そのうち宮家専用のに入って見ました。さすがに頑丈に出来ていましたが、湿気がひどく天井から雫が垂れていました。

「防空壕」と言っても知らない人が多いと思いますが、戦争中、空襲のたびに逃げ込んだものです。私の家と隣家の前の道路を掘って隣組の人たち10数人がすし詰めで入れる6畳一間位の穴倉でした。

昭和20年3月9日の夜、空襲警報が鳴って母と弟3人と一緒に入りました。弟2人は2歳と3歳、母は妊娠8ヶ付きの身重でした。父は監視で外にいました