義兄の葬儀

一度も意識が戻らないまま、8月1日に亡くなった。

幼い頃から秀才の誉れも高く、小中高大学までトップを走り、政治・経済の道にのめり込み、学生運動家となって、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの政党に入り、お歴々にも可愛がられて、将来が楽しみだった。ところが時代は変わって、その政党はどんどん衰退の道を辿り、その能力、博識は限られた世界でしか発揮されず、実にもったいないこととなる。

そうは言っても、全国あちらこちらに飛び回り、忙しさは相当なものだったらしい。よく、色々な地方の特産品が義母の所に届き、連絡はないがそれにより消息が明らかになっていた。

正月だけ帰って来て