お金は有り余るほどあったのに

町内のご老人の話。
その人は、公立中学の社会の教師でした。定年前小学校の校長に成られました。

水呑百姓だった親御さんは、貧しかったのに、国立三重大附属小学校に入れてくれたそうです。庄屋さんに年貢米を収める時は、必ず米俵を積んだ大八車の後押しをさせられたそうです。
庄屋さんの家には同級生の女子が居たそうです。お嬢様のピアノの音を聞きながら恥ずかしい思い出があると。親はわざとその悔しさを教えたのであろうと仰っていました。

戦後、農地開放でその家は小作から外れ沢山の田んぼが手に入りました。

校長先生の奥さんも先生でした。
娘さんには婿養子が来ました。娘さ