野村が死んだ

昭和30年、同級生に秋山というイヤな奴が居り、西鉄ライオンズのファンだった。野球を全く知らない私だったが、対抗心から西鉄に次いでまあまあのチームだった南海ホークスのファンだと自称することにした。当時、監督の山本一人はジャイアンツに勝つべく「400フィート打線」なるものを構想していた。蔭山、木塚らが活躍、近鉄から杉山が入ってきた。前年に入団した野村は、ノーヒツトで戦力外通告を受けたがポジション争いの相手が次々に脱落し首がつながった。でもボールの握り方もいい加減だったらしく、肩は弱かったので一塁に行けと言われたらしい。同期の投手宅和が大活躍した。皇太子が結婚