ささいなことかも知れないが…❺

山本博文氏著「武士の評判記」ラストに登場したのは太田資同である。これには驚いた。私は昨年太田家の菩提寺である本所の報恩寺に行った。この時に太田資同の墓に詣でている。彼は確かな業績も残しているが詳細については判らなかった。

「平蔵の毒気に当てられる―太田資同」が題名である。ページ数は2ページ強で短い。要点は下記の通りだ。
寛政4年(1792年)当分加役に太田資同が任じられた。彼は三千石の旗本で火事場見廻を経験していた。そうして御先鉄砲頭から加役になったのである。

太田資同と上司である長谷川平蔵との状況については下記の噂があった。
「加役になった資同を平