戦後75年 慰霊の沖縄 新たな備えを

昭和20年4月1日に米軍が沖縄本島に上陸を開始する。迎え撃つ牛島満大32軍司令官率いる部隊は此れを迎え撃つ、沖縄を守ろうと必死に交戦、沖縄の若いひめゆり部隊を含む県民の協力もむなしく、牛島司令官は自決、日本軍将兵と県民18万8千人、米軍1万2千人以上が戦死した。

あれから75年を向かえる、この沖縄戦を振り狩り、日本ではあの戦いは「沖縄を『捨て石』にする作戦だった」とするねつ造ともとれる歴史観を文科省の検定に合格するなど学校の教科書に記載されることは真実の沖縄戦を伝えようとしているのかいささか疑問だ。県民の犠牲はもとより、日本本土から沖縄を守ろうと戦艦ヤ