大正12年に営業がスタート、三万坪の敷地に妓楼139軒、娼妓2000人を数え吉原よりも栄えていると言われた
きれいに区分けされた通りの道幅広くどれだけ多くの男たちに愛された街か手に取るように分かる
ここ数年でずいぶん多くの遺構が壊され来るのが遅かったという後悔が正直な感想だ
まぁそうは言っても料亭、福祉施設、民家として生き長らえて来た妓楼やカフェーも多々あり来ただけの価値は充分にあった
時間があれば名古屋駅から徒歩でアクセスした方が付近の状況がより理解出来たかもしれない
やはりここでも内部見学は叶わず仕方ないとはいえ残念な気持ちは