ぜんぶ不快から抜け出すためだった

嫉妬の苦しみから抜け出すこと、
人から嫌われる苦しみから抜け出すこと、
病気の苦しみから逃れること、

その他
もろもろが

不快から抜け出して快適を得るための
ものだったのではないだろうか。

そのためになら
心理学でも哲学でも宗教でもなんでも使う。

最終的に縁起に行き着いて
ああ、これで助かったと思ったが、
それも不快さから向けだすための
手段だったのではないか・・

感情は流れ去るとか
周囲の人や出来事は
縁起でできているのだという認識も
そう考えると楽になるからという理由に他ならない。

不快を排除するための人生・・・
それに明け暮れる人生・・