生死一体の土台となる体験をしていた

生と死は一体であることが
どうしても自分のこととして捉えられなくて、
とうとうそれ自体を考えるのをやめようとしたとき、

師匠からの進言によって
考えるのをやめるのをやめることになった。
ややこしのだが
ふたたび考えることになったということだ。

まるきりとっかかりがないように見えたのだが、
以前の自分のなかに
生死一体のありありとした体験があることに気がついた。

それは
キリスト教の洗脳によって
地獄の恐怖心に苛まれていたときのこと。

夜一人でいられないほど怖くて仕方なかった。
サッシに悪霊が映って見えたほどだ。

いまここで死ぬわけにはいかない。