「源氏の共食い」…❸源為義と嫡男義朝の争い

河内源氏は厳冬の時代を迎えた。前回述べたように義家の嫡子義親の叛乱にによって河内源氏は没落、伊勢平氏が台頭した。義親の跡を継いだ為義は一言でいえば無能な男だった。彼は数々の失策を繰り返し朝廷の信頼を失い受領(国司)に昇進できず検非違使に留められていた。彼は摂関家の藤原忠実、頼長親子に接近した。

一方為義の長男義朝は立場を異にした。藤原忠実に嫌われ、父為義に廃嫡された彼は坂東に下向、同地で活躍した。そうして仁平3年(1153年)下野守に就任した。これによって彼は検非違使にとどまる父為義を超えて、河内源氏としては50年振りに受領に就任した。義朝は摂関家との