平成25年」4月から「太閤なにわの夢募金」=豊臣石垣公開プロジェクトがあり、募金の呼び掛けに早速応募寄付をした
今回抽選に当たり現場の大坂城博物館横の発掘現場へ見に行って来た
写真の様に鉄骨が組まれてスンナリ全容を見る事が出来なかったが、衝撃的だった
★何が衝撃かと言うと?
1、基本的に「野面積み」だった事・・・この時代はまだ算木積みの技術はなかったのだろう
2、石垣は野面積みだが、隅石には巨石が多用されていた
3、石垣の勾配が現在今我々が目にする城壁の勾配より緩やかだった
4、もちろんその個所の施工を担当した藩を象徴する岩石へのマークなど刻