人おのおのの運命「さだめ」に活きる「いきる」人の世ならば心おおらかに過ごさんものを

この歳になると、こうありたいといつも思っています。

実際、凡下の徒輩として活きても、一生は一生。

再び、生まれ能わざる人生ならば。

人がなんと言おうと、この世の人々の全てが、旧来の囚われた、しかめっ面しい道徳感や倫理観から離れて、人間の生物的本能である感覚的享楽を、他の人の幸福を妨げない範囲で喜び、楽しめるように心がけるならば、そこに期せずして、人々の生きがいがある、楽しいのどかな、理想的な、本当の人間の生活ができるんじゃないだろうか?

この沢山の数多い人の中から友達になったと言う事は、人智では究明出来ない、因縁と言う不可思議な幽玄微妙の作用の致