私は1958年生まれ。その13年前
1945年8月9日午前11時02分、長崎市に原爆が投下された。
その時、私の母と祖母は長崎市内に居たそうで、二人とも被爆者に交付される原爆手帳を持っていた。
母が所持していた手帳を見たことがあるが、被爆の場所に
爆心地から約1000メートルと記載されていた。
二人ともに鉄筋のビルの中にいたので助かったらしいが。木造の建物は跡形もなくなっていたらしい。
幸い二人共に被爆の後遺症も無く、80過ぎまで生き延びた。
被災当時の模様は、現場で自身が被爆して重症を負いながらも、医者として負傷者の救護にあたった永井隆先生の