紫水会の友人たちのことになってから、なかなか進まない。それはひとつには、錚々たる人材が輩出したからでもある。それはそれとして、少しでも先に進めよう。
第9回は些か異なった面がある。実は、その代表幹事はwakohが勤めたのだった。それまでも委員として1,2度お手伝いはしていた。もう逃げることが出来なくなって、ついに引き受けたのだった。
それまでは、立派なホテルなどを会場としていた。それは百人以上が一堂に会するのだから、当然でもあった。
だが、wakohは敢えて会場を、紫友同窓会館とした。前にも触れたことがあるように、母校は1945年(昭和20年)4
連載:wakohの交友から