「大阪の百済」

 大阪に百済が??、百済って、古代朝鮮の国名ではと疑問に思われる方も多いと思いますが事実なのです。その痕跡は今も残っていますよ。

 古代朝鮮は北から高句麗、新羅、百済と三つの国から成り立っていました。ヤマト朝廷は4世紀後半にほぼ日本列島を統一し、同時に朝鮮半島、特に南に位置する百済との交流が始まりました。資料に残るのは369年ころ百済と国交樹立をすることとなります。そのことが石上神宮所蔵「七支刀」(国宝)銘文に書かれています。応神朝の時代に難波大隅の宮(現在の東淀川区)があったとされます。その後、百済の聖明王から金銅像、経本などが欽明13年(552