76 東条の時代の日本国民と80年後の日本国民 「暗黒日記」清沢から


「暗黒日記」清沢洌。この日記のことを、「憂憤の記録」と、家族は言っていたようだが、オールドリベラリストの清沢は、1940年代の日本には、政界、言論界では、受け入れられず、東条などの軍事政権の政策を批判し、平和への道を模索しながら、警鐘を乱打する立場に甘んじるしかなかったようだ。清沢は、東条を支持する国民の無知、新聞に引きずられる国民の愚かさなどを、事あるごとに嘆いてもいる。

最後に、言論の自由、教育の国家統制を強く批判し、戦後の日本では、この立て直しを軸にしなければならないと語っているのは、今もなお、有効性、現実性を持つ指摘だと思う。
清沢は