北海道開拓史。 札幌

札幌の開拓への道(乾いたを大きな川を意味する サツ.ポロ.ペッ)と(その葦原が、広大な、川 サリ.ポロ.ペッ)のアイヌ語に漢字あてた。
『札幌を北海道の中心と』考えた人は、1807年、幕命で蝦夷探検を行った 近藤重蔵で、石狩平野が『蝦夷第一等の枢要な地である』と述べ、それから40年以上たち、蝦夷地踏査した松浦武四郎らは、首府の位置をさらに限定し『札幌樋平(豊平)の辺りが箱館にかわる首府の地として最も適当』と進言。
札幌の明治2年初代開拓使長官になった鍋島直正(佐賀藩主)は北海道に来ることなく、二か月あまりで病身(リュウマチ)かつ高齢(54歳だが)で辞