新約聖書入門 三浦綾子

時と場合で変わる人の良心
行道へ逸れるようだが、良心について私が聞いたことことに、ちょつとふれておきたい。よく、自分は良心に恥じないとか、良心に悖ることをしない、などという、そういわれると、うっかり、私たちはそういう人たちを信用してしまうことがある。だが、この良心的という言葉が曲者なのだ。私は結婚して、三浦と生活を共にするようになってから、時にそれに気づくようになった。結婚して三年目、私は雑貨屋をした。彼は帳簿をつけてくれていたが、大晦日の十二時現在の棚卸を、実に厳格に守った。「私の良心」に従えば、何も十二月三十一日の夜中に、オーバーを着込んで寒さいふる