Yasukoo処亭・Cure

郷愁の味

            ◆:◇昼食:ホットケーキ_20230322

🎂:断じてパンケーキなんて言う軽々しい菓子では無い。

 私は鍵ッ子でした。余市時代の就学前までの暮らしは海を背にした極楽の様な暮らし振

 りでしたが、札幌、現の中央区真っ只中に越して来てからは父の業務が厳しくなり、

 母も働く共働き家庭になり、当然ながら小学2年生だった私は官舎の玄関鍵を持たされ

 た『鍵ッ子』に。6ッツ下の妹は日中家に居るコトも出来ずに3町以上も離れたところ

 の保育園へ。その妹を学校帰りに迎えに行くのも私の日課となって当然夕餉は二人で

 食べなければ両親の帰宅を待っていると真夜中ってコトも有ったのでソレは無理。

 だから、昭和の戦時前ぐらいに出来ていたと思われる官舎は木造の平屋で土間が有り

 風呂は余市時代の真新しいヒノキ風呂で暮らしていたのが五右衛門風呂になり、台所

 もタイル張りでの安コンクリ製で、横には溜め置きの大きな甕に水を張ってイザと

 いう時の為の活用にしていたという具合。

 時々昭和の戦時中での暮らしが背景のドラマがテレビに上ったりしてるけどアレで

 出て来る家庭風景そのままでした。

 その暗い台所で食事を創らねばならなくなり、一番最初に創ったのは恐る恐る目玉焼

 き。ソレが成功すると、角食(1本まんまでしか売らない)を買って来て、薄く切って

 二枚に目玉焼きを挟んで塩掛けてサンドウイッチにして妹と二人で食べてました。

 そのうち、竈の火の起こし方も慣れて来て調節出来るようになって、焼き物や揚げ物

 などにもチャレンジし、遅く帰宅した母と家族三人で食べたりしてました。

 父は税務職員で、滞納の取り立てや事業者への徴税を主に仕事してましたので深夜に

 及ぶこともあり時には税務署庁舎に寝泊まりしながら働いていたという様子を語って

 呉れたコトもあってその労苦振りの凄まじさを感じて居ましたから段々に父は居ない

 ものだという感覚にさえ陥っていたモノでした。

 そういう暮らしの中で覚えたのが当時新発売された『ホットケーキミックス』でした。

 母に頼んで買って来てもらい、レシピ通りに創って初めて出来た時の感激と味の柔らか

 さに感動したモノです。時は昭和35年でした。小学3年の春です。

 今もその粉は売ってるようですが私は高校時代頃には既に小麦粉で創るコトを覚え、

 同時頃にはケーキメーカーオーブンも買い整えて、クッキーなども創ったり時には

 家族の誕生会をケーキ創って持て成したりとそういう楽しさを覚えて鍵ッ子のシェフ

 は育って行ったのです。ソレは大学に入るまで続きましたが、その進学迄の紆余曲折

 の中で、バイトに精を出す余りか、家に帰っても偉そうにナンもせずなグータラに

 成り下がっていたのがナニより猛省なコトです。

――――っていうコトを思い出せるほど、ホットケーキでソレからの暮らし振りの大変

 転を今更のように思い出せる一品なのです。
 

🎂彡彡彡

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