城探訪~

びわ湖の水位が大幅に下がっていて、坂本城の石垣が露出しているとの話しが耳に入ったので、土曜日に確認に「期待を込めて」出掛けた・・・

でも、これまで何度も見て来た沖の風景は・・・ちょっと沖まで砂浜が伸びた程度で、「城石垣がゴロゴロ!」などという風景は見られなかった
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◆明智光秀が比叡山攻略で一番の手柄をあげた功績で信長から許されて持った「近江・坂本城」である(光秀が初めて持った城である)=光秀の所領「坂本城・亀岡城・福知山城=織田家臣中最高の所領である」

★「坂本城」は信長の安土城に優る立派な城であった事が後生の調査で判明している
坂本城の築城様式はその後の秀吉傘下の武将が建立した各地の城作りに生かされたと言う
(城内からスグに湖上から軍勢を繰り出す事が出来る

◆当時の坂本はびわ湖交易から上がる莫大な利益で潤っており、比叡山仏教(僧)はこの財を献上金として傘下に従えていた、また信長に敵対していた朝倉・浅井軍との繋がりで協同して信長に対抗していた

これらの退治に必死で動いた光秀が「比叡山の惨劇」の主役となった,


◆光秀がその後坂本城を築けたのは「近江衆」の積極的応援があった.また近江衆も比叡山の僧の行状を快く思っていなかったので、この掃討作戦に協力した

◆光秀が信長を潰した後の秀吉軍との戦いに、強い結束である近江衆(坂本衆・堅田衆・守山衆・瀬田衆」等々が多く参加している

5枚目写真(びわ湖が全面的に鳥獣狩猟禁止区域になって以後、びわ湖湖上は物凄い数のカモ類が羽根を休めて居る)

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