「江戸博物館」の日記一覧

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雨の日は江戸博物館、ボラの人にしっかり聞いてきました

78歳の男性ボランティアが丁寧に説明してくれました、私一人に1時間、有り難いことです。江戸時代はとても治安が良く女性1人でも鍵をかけないで住める、これは凄いこと、町内はみんなで守る意気込み、 江戸の人口の7割は武士、1,5割が庶民、1,5割が宗教関係者、江戸も中期になると区別がつかなくなった来た、商人の力が強くなる、主な武家集団は260あってその下に家臣団、旗本などがいた。 戸籍制度があった…

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江戸博物館へ再び行った、もっとゆっくり居たかった!

どうにも遠いけれどとても楽しい所、修学旅行の生徒が多かった、平日の雨ではこんな所しかない、、 明暦の大火1657.3.2-4日では当時の江戸の人口4,50万人いて3-10万人が死亡、外堀以内は全滅、この大火で消失した江戸城天守閣は以後再建されなかった、別名振袖火事ともいう、家が木造だから燃えるのも早かった、 これを期に江戸改造が行われ御三家の屋敷が江戸城外へ転出した。江戸防衛の為に千住大橋だ…

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両国の江戸博物館再訪、江戸幕府の素晴らしさが良くわかる

日本は木の文化、ヨーロッパは石の文化とボランティアの男性が言っているのを聞いて最もだと思った、 建物の設計は菊竹清訓で、地上7階、地下1階の鉄骨造構造。地上部分の高さは約62mで、江戸城の天守閣とほぼ同じである。 参勤交代は一日に歩く距離が約30km、鳥取から江戸までは3週間かかる、九州からだともっと遠い、昔の人はよく歩いたものだ、考えられない、、 庶民は棟割長屋に住んでいた、全て木で出来…

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両国に再び行く、雨が上がって気持ち良く晴れた、、

両国の横綱町公園では関東大震災の慰霊碑があった、 近くに旧安田邸公園、小さいけれど素敵な庭園、、 江戸時代においては、本庄松平氏(常陸笠間藩、のち丹後宮津藩)の下屋敷。元禄年間に本庄宗資により大名庭園として築造された。安政年間に隅田川の水を引いた潮入回遊庭園として整備された。明治に入り、旧岡山藩主池田章政の邸宅となる。 明治22年(1889年)、安田財閥の祖である安田善次郎が所有することとな…