もっと小さいころに親戚の小母さんが亡くなった 癌だった そのときは不治の病で 田舎ではうつるんじゃないか 遺伝やないかと ヒトはみな遠のいていった きれいで憧れていた優しい小母さん 幼いふたりのこどもの心配をしながら やせ細った体を布団のなかにかくし すっかり肉の落ちた手と足だけが見えた しまいにはその手足も自由に動かせもせず まいにち 世話してくれる義母にすみません すみません といってい…
2日続けて同じ方が出演しているテレビを見ました。 日本中、いえ、世界中を旅しながら、たまたま出会った方をお茶のお手前でおもてなしを続けている方です。 幼い頃に母親から離され、望まれない親せきの家で育った方だそうです。 その方がつぶやくように歌われた母の歌です。 わたしがおねむになったとき やさしくねんねん子守唄 うたってねかせてくださった ほんとにやさしいおかあさま 極めて単調なリズムはど…
わたしがあの牛車を初めて見たのは、10代の終わり頃でした。学校に行くために通りを歩いていたときに、鴨川に沿って上って行く所でした。予期しない出来事に、京都に来たことを実感したのでした。艶やかさと、古びた感じを鮮烈に覚えています。 その後、時代祭ではアルバイト募集の掲示を見て、参加することになりました。鎌倉時代の衣装を着て、弓の的を持って馬の後ろからついて行くというものでした。御池通では観客席…
「(高齢者は)記憶・思い出の貯蓄がたくさんあるはずであり、それを使わないのはもったいない」 というようなことを昨年年末のTVで五木寛之さんが話していた。 本当にそう思う。記憶・思い出だけでなく、部屋の片隅には読もうと買ったまま積んである本もある。 今年は、頭の片隅、部屋の片隅にある”貯蓄”を活用しようと思う。