「受難曲」の日記一覧

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お宝名曲No.241-11 バッハ「マタイ受難曲BWV.244」ハイライトPart10「イエスの死と埋葬、終曲」

ヨハン・セバスティアン・バッハ ( 1685年3月31日 - 1750年7月28日 ドイツ ) ハイライトの最後Part10 は、「イエスの死と埋葬、終曲」です。 「昼の十二時より地の上あまねく暗くなりて三時に及ぶ。 三時ごろイエス大声に叫びて『エリ、エリ、ラマ、アサブタニ』と言い給う。 わが神、わが神、なんぞ我を見捨て給いしとの意なり。」 「イエス再び大声に呼ばわりて息絶え給う。」 ここ…

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お宝名曲No.241-10 バッハ「マタイ受難曲BWV.244」ハイライトPart9「ローマ総督ピラトの尋問」

ヨハン・セバスティアン・バッハ ( 1685年3月31日 - 1750年7月28日 ドイツ ) ハイライトPart9 は、 聴きどころが多くて少し長くなりますが「ローマ総督ピラトの尋問」です。 当時ユダヤの大祭司たちは、ローマ政府から死刑の執行権を取り上げられていたため、今度はローマ総督ピラトのところに連れていかれ、そこで再び尋問を受けます。 ユダはこの時点でイエスの死が動かないものになっ…

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お宝名曲No.241-9 バッハ「マタイ受難曲BWV.244」ハイライトPart8「ペテロの否認」

ヨハン・セバスティアン・バッハ ( 1685年3月31日 - 1750年7月28日 ドイツ ) ハイライトのPart8 は、「ペテロの否認」です。 おそらくこれを入れていない抜粋版はないというくらいに有名です(笑)。 「最後の晩餐」の後、オリーブ山で、 イエス「まことに汝に告ぐ、今宵鷄鳴く前に、汝三たび我を否むべし。」 ペテロ「我、汝とともに死ぬべき事ありとも汝を否まず。」 と食い下がって誓…

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お宝名曲No.241-8 バッハ「マタイ受難曲BWV.244」ハイライトPart7「大祭司カヤパの裁判」

ヨハン・セバスティアン・バッハ ( 1685年3月31日 - 1750年7月28日 ドイツ ) ハイライトのPart7 は、大祭司カヤパ(カイアファ)による宗教裁判です。 市販のどの抜粋版にも取り上げられていないのではないかと思いますが(笑)、 第34(40)曲 テノールの「レティタティーボ」(わがイエスは嘘いつわりの証しにも黙したもう)がお気に入りです。 裁判は始めからイエスを死罪にする…

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お宝名曲No.241-7 バッハ「マタイ受難曲BWV.244」ハイライトPart6「イエス捕縛」

ヨハン・セバスティアン・バッハ ( 1685年3月31日 - 1750年7月28日 ドイツ ) ハイライトのPart6 は、いよいよイエスの捕縛です。 剣や棍棒で武装した集団を引き連れたユダがイエスのところに現れ、「自分が接吻する人がイエスその人だ」とあらかじめ示し合わせていた方法で手引きをしてイエスを捕えさせます。 その後に置かれているソプラノ・アルトによる「アリア」と「合唱」の緊張感と…

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お宝名曲No.241-6 バッハ「マタイ受難曲BWV.244」ハイライトPart5「人間的、あまりに人間的なイエス」

ヨハン・セバスティアン・バッハ ( 1685年3月31日 - 1750年7月28日 ドイツ ) ハイライトのPart5 は、捕縛直前に「ゲツセマネ」という所でイエスが祈りを捧げる場面です。 この場面の受難曲は、 1.祈りを捧げようとするイエスの苦しげな様子とそれを見守る弟子たちの思いを表したテノールによる「レティタティーボ」と「コラール」、「アリア」と「合唱」。 2.イエスの祈りとその祈りを…

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お宝名曲No.241-5 バッハ「マタイ受難曲BWV.244」ハイライトPart4「ペテロ否認の預言」

ヨハン・セバスティアン・バッハ ( 1685年3月31日 - 1750年7月28日 ドイツ ) ハイライトのPart4 は「ペテロ否認の預言」です。 第一部はハイライトの連続ですね~(笑)。 ペテロの否認、正確には「ペテロたち」の否認の預言なのですが、それを挟んで、前後に同じ旋律の「コラール」が歌詞を変えて、二度連続して出てきます。 こういうのはここだけです。 第15(21)曲「私をお認め…

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お宝名曲No.241-4 バッハ「マタイ受難曲BWV.244」ハイライトPart3「最後の晩餐」

ヨハン・セバスティアン・バッハ ( 1685年3月31日 - 1750年7月28日 ドイツ ) ハイライトのPart3 は「最後の晩餐」です。 ここでまず印象的なのは、 第10(16)曲 「コラール」(われなり、われこそ償いを) で、 その美しさに耳を奪われます。P.ゲーハルト作詞(1647年)イザーク旋律「われなり、われこそ償いを」の第五節から採られています。 日が暮れて、十二弟子ととも…

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お宝名曲No.241-3 バッハ「マタイ受難曲BWV.244」ハイライトPart2「ユダ」

ヨハン・セバスティアン・バッハ ( 1685年3月31日 - 1750年7月28日 ドイツ ) ハイライトのPart2「4曲目」は、 いまや裏切り者の代名詞のように言われている「ユダ」にまつわる「アリア」です。 まずマタイ伝では、 「ユダ」の所業とその最期については淡々と記されていて、不思議とあまり責めたり、非難する感じがしません。 もっとも「最後の晩餐」でイエスから、 「人の子を売る者は…

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お宝名曲No.241-2 バッハ 「マタイ受難曲 BWV.244」ハイライト

ヨハン・セバスティアン・バッハ ( 1685年3月31日 - 1750年7月28日 ドイツ ) さて、ハイライト集です。 まずハイライトの「1曲目」は、 第1曲の「合唱とコラール」(来たれ娘たちよ、われと共に嘆け )です。 下のYou Tubeの最初からです。 オペラでの「序曲」の位置づけということになりますが、序曲と言うにはあまりにも荘重で悲しみに満ちた美しい合唱曲で、「受難曲」の核心と…

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お宝名曲No.241-1 バッハBWV.244「マタイ受難曲」

ヨハン・セバスティアン・バッハ ( 1685年3月31日 - 1750年7月28日 ドイツ ) 平たく言うとマタイ伝は、 イエスの「言行録」で、「地」の部分とイエスを初めとする登場人物たちの「台詞」から成り立っています。 極言すると、 「○○した。」と「 『□□』と言った。」だけ。 これを音楽に仕立てるのって、普通に考えて結構きつそう。 バッハがどうやっているかというと、 マタイ伝そのもの…

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マタイ受難曲 プロローグ

「マタイ受難曲」は、 イエスの弟子の一人マタイによる福音書(マタイ伝) 全28章の内、イエスの受難を描いた第26・27章に基づいています。 30年ぶりに日本聖書協会文語訳聖書でマタイ伝を読み返してみました。 わたしは「信徒」でも「研究者」でもありませんので、再読して感じたことを徒然に。 まず、読み始めてすぐに目に止まるのが「14」という数です。 そう、「14」と言えばバッハの「数」ではありま…