師走の声を聴くようになると思いだす懐かしい出来事。 それはまだ私が若かりし頃の事だった。 まだ私の頭に毛がふさふさとあった、睾丸の美少年、違う、紅顔の美少年から十年ほどが経った年の瀬の事、かねてより何度も誘いの有った中学校のクラブの同期たちとの忘年会兼同窓会、体質的に下戸の私はいつも断り続けていたが、その年は仲のいい友が幹事と言う事もあり酒の飲めない私も高い会費を払って参加した。 …
今年も残すところ あと40日弱 まさに歳月は猛スピードで突き進んでいきます。 11月末になれば 年重ねただけに 親戚 友人たちの訃報 があり 喪中はがきも多くみられる。 昨日 元職場仲間で仲の良かった同年のK君の息子さんから喪中はがきが届いた。 最後に逢ったにがコロナ禍が収まりかけた昨年夏 名古屋の都心のホテルでの食事会 仲間6人 競馬や野球 政治 昔話などした。 元高校野球球児だ。 …
喪中はがきのあて名書きでは苦労した。 田舎にUターンしてから年賀状書きにパソコン印刷を始めたときは使い方も判らず、住林営業マンが来た時に尋ねたりしてパソコン内部の書き方を利用。 その時にアドレス作成に時間かかったものだった。 其れなのに最近新しくパソコン購入で自分でお引越しは出来ると軽く考えたのが失敗の元。 住所録など重要な項目をバックアップ出来てなくてあえなく消滅! これには参ってしまう・・…
毎年の年賀状作りを絵手紙にして以来、住所も墨での手書きとなりました。 折角、苦労して絵手紙年賀状を描きましたのに宛名を印刷では受け取り手の印象が違うだろうと、絵手紙文字風に書いてはいたけれども、先生のような宛名書きには到底近づけないものでした。 それでも、100枚余り描き続けるのは時間も掛かり私にとっては年末の一大事業でした。 それ故、パソコン始めた20年前に住所録を作成したものでしたが、…
歳末も次第に押し詰まってきた。益々慌ただしい。 この時期、年中行事、歳時記の一つに年賀状書きもあるだろう。wakohは社交的な人間ではないけれども、お付き合いのある方々とは、誠実に対してきているつもりだ。元教員でもあった。たくさんの学生・卒業生などと接してきていた。 だから現役を引退して、もう10年にもなるけれども、どちらかと言えば、年賀状などは沢山いただく方かもしれない。 尤も、80歳代…
年賀状の書く季節になって 喪中はがきが 今年も来ました 人の人生の重みと哀しさを感じます 合掌