「阿修羅像 」の日記一覧

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朝に聞く杜鵑の囀りよ

 あち見こち見かつは向き変へ囀れり   照雄  カルデラの壁囀りのみじかくて  澁谷道  囀りの朝に姦し旅の宿  アロマ  乱れなき囀よ飢透きとほり  佐藤鬼房    みそさざい岩かけのぼり囀れり  市村究一郎  囀りの隅より起し牧草地  下田稔  帰省して鳥の囀り懐かしく  アロマ  囀や深き眠りを日に幾度  野見山朱鳥  囀るカナリヤ右へ左へ裁鋏  伊丹三樹彦  囀りの…

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春愁や物悲しくも温みあり

 ありありと春愁の眉阿修羅像   倉橋羊村  その人の春愁の句を覚えゐて  後藤夜半  コインランドリーヘ春愁のひと抱へ  辻美奈子  春愁のとどめに赤き皿買はむ   百瀬美津  春愁のはさみ使へば鳴る小鈴  上村占魚 鮎  春愁や鉢曇らせて塩鯨  石塚友二  花びらとなる春愁の鴎たち  岩淵喜代子  やはらかく魚煮て春の愁かな  緒方 敬  トルソーに春愁なくもなかりけり…

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秋暑し暮れ方待って買い物に

 秋暑し大儀に下ろす踏切り棒 丸山佳子  秋暑し道にはみ出す大南瓜  高倉恵美子  秋暑し盆を過ぎても三十五度  アロマ  秋暑し物言ふ自動販売機 川崎真樹子  秋暑し昔卵は籾殻に 廖運藩  秋暑し犬を連れ行く日暮待つ 永田万年青  秋暑し薬草吊す深庇 城戸緑  秋暑し黒部西瓜に齧り付く  谷渡末枝  秋暑しカーブミラーに歪む街 神戸やすを…

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仏の顔も三度まで

 定年後の夫婦性として今、仏の顔も三度までといえる。 良く尽くし支えてくれた妻があり、職場に自己遺伝子を植え付けることができたと自負する。しかし、現在は自活を強いられる。 本来が仏の前に鬼が棲む、仏の顔も三度撫でれば腹立てるところから当然なのだろう。 今の発想として、ウイズコロナ時代のウイズアップにマッチするのが3つの顔と6本の手を持つ阿修羅像だと。 奈良・興福寺蔵の阿修羅像は三面六臂で、…

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午後長けてワインボトルと春愁と

   ありありと春愁の眉阿修羅像  倉橋羊村  ふとよぎる春愁のかげ見逃さず  稲畑汀子  コインランドリーヘ春愁のひと抱へ  辻美奈子  春愁や一と日夕空街に澄む  中村汀女  春愁や一升びんの肩やさし  原子公平  午後長けてワインボトルと春愁と  アロマ  春愁やパステルカラー着てみても  川口咲子  春愁やなまことうどを買つて来る  田中冬二  春愁や菜花湯掻いて肉炒め…

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明けましておめでとうございます。

【興福寺 国宝館 阿修羅像について】 皆さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 今回はお正月と言うことで、興福寺阿修羅像について、投稿させて頂きます。 興福寺阿修羅像は、奈良時代(734年)の作、作者は仏師将軍万福(百済からの渡来人と推定)、脱活乾漆造、像高は153.0㎝、国宝の指定を受けています。 現在は国宝館に収蔵されていますが、もともとは興福寺「西金堂」に…

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酔芙蓉白く咲く朝辺りには凋む昨日の紅花もあり

 酔芙蓉白雨たばしる中に酔ふ  水原秋櫻子  柔らかな花びら開く酔芙蓉  アロマ  全身で来ぬ電話待つ酔芙蓉  苗代 碧  禅林や即今庭の酔芙蓉  尾崎迷堂 孤輪  素顔にて男は足らふ酔芙蓉  田中水桜  存へて浮世よろしも酔芙蓉  森澄雄  待ちびとを持たぬ気やすさ酔芙蓉  岩切青桃  地蔵坂朝は素面の酔芙蓉  旭蝸牛  恥らひの色を見せけり酔芙蓉  高澤良一 暮津  虫喰の…

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「仏像の修理 どこまで」

3/21今朝の朝日新聞21面 「仏像の修理 どこまで」 文化財保護のあり方について考えるシンポジウム 「阿修羅像を未来へ―文化財保護のこれからを考える―」 が掲載されていた。 興福寺多川俊映貫主が 「お経には『仏様は完全な身体を持つ』という意味の言葉もある。腕が欠ければ、補いたい。失われている物は持たせたい、と願うのは、当たり前の感想だと思う」 と、シンポジウムの冒頭に、宗教者の立場から、…

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第19回 <国民的美少女それとも美少年?興福寺の阿修羅像>仏像を学ぶ奈良の旅?

前々回から美男、 美女の仏様について書いてきました。 その続きと言うわけではありませんが、 興福寺の阿修羅像について書くことにします。 少し前の2009年に 興福寺の阿修羅像が 東京国立博物館にお出ましになり 多くの方がその美しさに魅了され、 空前の阿修羅ブームが社会現象レベルで起きたことは 記憶に新しいところです。 私も約30年前に 初めて興福寺で阿修羅像 と対面した時の感激を 忘れることが…

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明治時代まで亡失していた阿修羅の右手 その続き【4・完】

【前の日記の続きです】 その後、とんでもない失態をまた演じている事が発覚いたしました。興福寺の阿修羅は少なくとも中金堂と西金堂それぞれ共に本尊は釈迦如来像で、その眷属として、個々の金堂に1躯づつ、計2躯は在った様です、その内の1躯、現在国宝館に居られる阿修羅は、元は西金堂に祀られていた阿修羅像であるとの確実の認識が欠如していました。全くのミスです。本来は興福寺曼荼羅の内の西金堂の阿修羅の図に限…

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明治時代まで亡失していた阿修羅の右手 その続き【3】

【前の日記の続きです】 上記の事を関口 正之氏が解説しているブログを見つけましたので載せておきます。 阿修羅の形像について,漢訳経典には種々述べられている。胎蔵界曼荼羅外金剛部院には二臂像があり,その形像を記す〈諸説不同記〉には,赤色身で右手に剣,左手は拳の像が説かれる。また,〈摂無礙経〉や〈補陀落海会軌〉には三面六臂で青黒色の肉身の像を説く。その六臂は,第一手は合掌,第2手は火頗胝(かはて…