さきほどゴキブリを殺してしまいました。南無阿弥陀仏。
5月15日、5時から、日曜の朝は「こころの時代」です。 「歎異抄」について、NHKディレクターが、2人、阿満利麿氏の講義を聞いたり、質問したりするという、初めて見る形式の番組でした。 念仏を称えれば、誰でも極楽往生できるというのが、法然、親鸞の言うことです。 「南無阿弥陀仏」の「南無」は、帰依するということ、つまり、何もかも投げ出して おまかせします ということ。 「阿弥陀仏に、すべて おま…
師匠に勧められて 差し支えなし、ご注文なし と称えることをしている。 以前のようにひっきりなしという具合では なく断続的になってはいるが、 だんだんと習慣化されつつある。 差し支えなし、ご注文なしは 南無阿弥陀仏とも同じ意味だというので、 南無阿弥陀仏と言い換えることもあるし、 ありがたい気持ちが出てくると ありがとうございます‼ と感謝することもある。 言葉には霊力が宿るといわれるが、…
楠恭さんの動画を毎日聴いている。 楠さんの著作にもあるのだが、 生と死は表裏一体になっている。 生はいつでも死に転じる。 そうでなければ即死はありえない。 というのが真実の姿である。 宗教というと 神頼みやいい気分、 安心をえられるものという思い込みがあるが、 こうした事実現実を受け入れることが ほんとうの姿勢なのですよ、 と楠さんは言われる。 このことは師匠も再三にわたって言われてい…
浄土真宗の 「阿弥陀を信じる」というところで躓いていたのだが、 師匠に尋ねることができてようやく解決に至った。 いのちが自分となって生きているとわかるのと 阿弥陀への信心は違うと捉えていたが、 そうではないというのが結論だ。 いのちが自分となって生きている と先日わかった訳だが、 自分としては、このことは 思索に思索を重ねた末に至ったこと、 哲学としてわかったのだと考えていた。 師匠曰く …
ちゃんとできているのか ちゃんとわかっているのか すごく心配になる癖があるのかもしれない。 生死一体についても 自分はちゃんとわかっているのだろうか? ちゃんと理解できているのか? 確認できないと気が済まない。 わかったフリだったら困る という不安もあるだろう。 ーー死の宣告などに際して ジタバタしたくないという願望から でも、 これは事実なのだからと迫ってくる。 そうだ・・ 生死一…
畑の苗植えが終わってやっと一服。 きのう買った本から感じ入ったことを書こうと思う。 妙好人浅原才市さんの事は 楠恭さんの本などで読んで知ってはいた。 その本もすごく身に沁みいってきたのだが、 (楠さんは大拙氏の弟子なので当たり前なのだが。) 大拙氏の描写の迫真力の凄さに より一層圧倒された。 まだサッとしか読んでいないのだけど、 感じ入った事柄を書いてみたい。 才市さんは詩で宗教の心情…
きっとまた、 嫉妬に悩む自分がいるだろう。 この性癖はたぶん、 一生治らない。 でも、 それでいいんだ。 治るかもしれないし 治らないかもしれない。 平静な自分になるのかもしれないし ならないかもしれない。 でも、どちらでもいい。 すべてはお任せである。 私はその中で生きているだけだ。 すべては「南無阿弥陀仏」であり、 聖書風にいえば「アーメン」である。 ただそれだけ・・・…
今年6月から始めた「仏教通信コース」、 22回目のテキスト、 「仏教は聴聞に極まる」が送られてきた。 残る三回のタイトルは、 23回「親鸞聖人」 24回「東条英機」 25回「呼吸の頃すなわち」 今後の配信予定によれば、 予定通り年内には終了しそうだ。 24回「東条英機」や、 25回「呼吸の頃すなわち」 等、内容の見当もつかないが、簡単なことでも、 やり遂げることが大事とかんがえている…
人は幸せを求めて生きている。 人それぞれかもしれないが、 仏教の言う「幸福」とは、 どういうものなのか? 色あせない「絶対の幸福」とは? 思うようにはいかず、 苦しいことの多い人生、 なぜ生きていかなければならないのか? なぜ「自死」してはいけないか? 大宇宙が人間に与えた使命を果たすため? ならば、その使命とは? 納得できることも少なくはないが、 よくわからないことも多い。 …