時々,童謡など想いだされて: 「母さんが夜なべ―をして 靴下-編んでくれた~」 「歌を忘れたカナリヤは おせどの海に捨てましょか~」 「咲いた咲いたチュウリップの花が 並ーんだ並ーん~」 時にはおかしな”コロッケの歌”を想いだしたりして: 「ワイフもらって嬉しかったが いつも出てくるおかづ はコロッケ 今日もコロッケ明日もコロッケ これじゃ 年がら年中コロッケ~」 歌詞がたいへん優れていて:…
最初に拍手を頂き有難うございます。お礼が言いそびれてこの場をお借りして御礼を申し上げます、 前回の続きですが、父は客車の電灯の掃除をしていた時に関東大震災にあったそうです、上野駅にいて上司に帰宅する事をお願いして、上野公園西郷隆盛の銅像の所まで行くと、すでに訪ね人の張り紙がしていてあちこちに火災の火の手が上がっていたそうです。列車は運休していて、歩くしか無く西に向かい横浜で自警団に捕まり、国鉄…
この日記を書く目的は私たち昭和時代に育ち、戦争の道に進められた事と惨めな敗戦の体験を、当時の歴史に合わせながら書いていきたい。 何となく、今も大正時代から昭和の時代の流れに似た感じがしてならない。 先ず昭和時代の生活はどうであったか 自分がまだ生まれていないころのこと、事から始めなければ成らない。 前々回は地主が放題な年貢の取り立てを行い、長年にわたり百姓一揆が行われた。団体交渉をするために農…
父の9人兄姉で末子である。9人中男は5人その内2人が婿入りして、いました。 財産家にいった叔父叔母は何とか暮らしが出来ていた様ですが,その他の実家 や叔父叔母の暮らしは相当苦しかったようです。 *ウィキペディア(Wikipedia)を参照 (*金融恐慌 第一次世界大戦では大戦景気による稀に見る好況を迎え、日本経済は大きく急成長を遂げた。しかし、大戦が終結して諸列強の生産力が回復すると、日本の輸…