「陸軍」の日記一覧

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成増陸軍飛行場

今朝のNHKのニュースで、板橋区成増のギャラリーで、「成増陸軍飛行場開設八十周年祈念展」が開催されているのを知りました。 現在練馬区にある都立光が丘公園は、戦時中は特攻兵が訓練を受けて、前線の出撃地へと飛び立って行った、広大な飛行場だった場所です。 私はここが戦後、米軍に接収されて、グラントハイツと呼ばれていた時期から知っているのですが、その前の時代を知りたくて、朝から自転車を飛ばし…

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細菌戦

早や五月。世はゴールデンウィークだと。薫風の候だな。例年だと爽やかな風が吹くんだが年々地球温暖化だろうかな、蒸し暑さがあるんだな。今年も暖冬の影響で、春の訪れが早く、三月も暖かかったが、四月は寒さがぶり返した。しかし五月の声を聞くと暑くなった。 「われに五月を」で世に出た寺山修司が、四日に逝った。三日には高橋和巳が逝った。その頃は爽やかな風であったろうが、地球の温暖化かな、梅雨の前の蒸し暑さだ…

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祖父の日露戦争(3) 最終回

3月は、お彼岸の月ですので祖父の話ができてよかったです。 祖父の日露戦争(3) 3月1~10日「奉天」付近会戦 1日の日本軍総攻撃での第四師団は第二軍での右翼を担当し、三七連隊は第四師団の中での右翼で、隣は第四軍。 戦線の中央で「奉天」を目指したようです。相手の露軍は露第3軍でその後に露軍総予備隊が控えており、かなり重厚な敵のようです。 「日本の戦史 日露戦争」ではこの日、第四師団は「金山屯」…

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祖父の日露戦争 (2)

祖父の日露戦争 (2) 右太臣さんに調べていただいた結果は、次の通りである。 ------------------------------------------ 大連は同半島の南端で旅順と隣り合わせになっています。そこから東清鉄道が北へ奉天、鉄嶺方面に走っています。 大連から奉天までは約300キロ弱(詳しい地図が当方に無いのでおおよその見当です) 大連から北へ向かい重要な地点は「金州」「得利寺…

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祖父の日露戦争 (1)

祖父の日露戦争 (1) 私の父方の祖父の名は、富三郎である。 富三郎は、1883年、明治16年9月に、三重県名賀郡箕曲村大字瀬古口で、次男として生まれた。 富三郎の軍隊手帳を私の村、瀬古口の家で保存している。字が小さくて読みにくいが、なんとか解読できた。軍隊手帳での記録を中心に書く。 所管は、第十六師管、歩兵第九連隊補充大隊第三中隊 第九連隊は、滋賀県大津の次の駅、膳所(ぜぜ)にあった。 服…

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3月10日、陸軍記念日

戦前日本では、3月10日であった。これは、1905年3月10日に、日露戦争の奉天会戦で大日本帝国陸軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領して奉天城に入城した日である。1906年(明治39年)3月10日が第1回陸軍記念日である。[1] 1945年3月10日の東京大空襲は、この陸軍記念日を狙って実施されたという説がある。当時の日本で、この記念日にアメリカの大規模な攻撃があるとの噂が流布しており、この噂…