「戊辰戦争」の日記一覧

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鶴ヶ城(会津若松城)の桜と歴史

鶴ヶ城(会津若松城) 昨晩のライトアップに続き、早朝花曇りの鶴ヶ城 。朝食済んだらなんと青い空が広がっているではありませんか! 青い空と桜&城を見たくて、再度足を運びましたよ。 運んだ甲斐がありました。 幕末のジャンヌ·ダルクといわれる山本八重(新島襄の妻)は戊辰戦争で翻弄され、新政府軍に追われ、最期に鶴ヶ城ををあとにする時に残した歌。 「明日の夜は 何国の誰か ながむらん …

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天皇陛下が登った天覧山・渋沢栄一も係る街歩き

昨週の里山ハイクは、飯能市(埼玉県)の天覧山に行ってきた。   天覧というと、相撲、野球天覧試合で見聞きしたことはありますが、山で何故か?と、前から興味があった。  調べると。1883年明治天皇が山麓で近衛兵の演習があり、山頂で総監したので、従来からの山の名を変えたとのと。山は標高(195m)と低いが、頂上からは眺望がよいところだった。 私は、そこからその先にある多峯主山へのほどほどのコースで紅…

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彰義隊とバスケットボール

慶応4年5月15日、今は動物園や博物館の並ぶ上野の寛永寺周辺で彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩・長州藩を中心とする新政府軍の間で激しい戦闘が行われ、旧幕府軍は多くの戦死者を残して退却しました。戊申戦争の一つ、上野戦争です。残された彰義隊の戦士達の遺体を引き取って埋葬して墓石を建てたたのが、今の荒川区三ノ輪の円通寺でした。寛永寺はその行為に感謝して、後に修復の際、黒門を円通寺に贈り、現在でも境内に立ってい…

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エッセイ「名君中の名君」

保科正之という江戸幕府初期の人物を、私は知りませんでした。まさしく”歴史は常に勝者の歴史である”です。 この人物を取り上げたエッセイがありました。 歴史エッセイ帆走子流です。    ***「名君中の名君」***                 作品番号 CZ-0259  戦国時代史の好きな私だが、不勉強にして保科正之の名前は、つい最近まで知らなかった。  この名前は歴史教科書などには、一切…

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米百俵まつり米百俵の精神

戊辰戦争で国敗れ食べるものに困窮した長岡藩に支藩の三根山藩から100俵の救援米が届きました。しかしその米は未来の為に学校を建てたのでした。 小泉首相の所信演説で米百俵の精神で頑張ろうがありました。

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歴史を訪ねて 小千谷~奥只見~会津若松

中越地震から間もなく14年 6年住んだことのある小千谷を33年振りに訪れました。 日本で最初の公立小学校となった小千谷小学校は立派に新築され 校庭は昔と変わっていたものの 本町商店街や周辺の町はさびれることなく発展していて心強く思いました。 市民の憩いの広場船岡山の石碑には「機織りの町小千谷は数千年の昔から盛えてきた」とあり 信濃川の宿場町として歴史上重要な役割を果たした地であることがわかりま…