善光寺本尊を、信濃に持ち込んだのは誰なのか。そのことが記されている、「善光寺縁起」、「扶桑略記(ふそうりゃくき)」の歴史書の内容をどのように解釈をすればよいのだろうか。
室町時代に編纂された「善光寺縁起」によれば、
仏教派の蘇我氏と、反仏教派の物部氏との、大和朝廷の権力闘争の際に、物部氏により、一光三尊阿弥陀如来が難波(なんば)の川に打ち捨てられた。 そして602年に、通りがかりの信濃国司の従者として都に上った本田善光(よしみつ)が、川の中から阿弥陀如来様のお声を聞き、背中におぶり信濃の飯田まで運んだのである。 その背中で阿弥陀如来様はこう言ったそ
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