第二節 岩沼宿 ― 武隈の松と名取・笠島編の倒置

はじめに 
ここでは奥州街道編として「伊達の大木戸」と今一つ、岩沼宿の「武隈の松」と名取笠島の「薄のかたみ」の俳文が、実際の道行と逆に記された点に注目してみたい。
なぜ、芭蕉は俳文を実際の旅と入れ替えたのだろうか? 金沢則雄氏は、「笠島と武隈の章とが曾良の「随行日記」の経過に対して、『紀行文』では逆になっている・‥‥当時の紀行文のスタイルがどのような構成意識に支えられていたかも不明である」、「‥‥白石を経て岩沼宿の「武隈」を見て、名取(「笠島」)を経て仙台に入るコースを倒置し、実際には立ち寄らなかった笠島を「よそながら眺めやりて過ぎるに」と書いた俳文を岩