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よくあるご質問

道端に落ちた鳥のひな

買い物途中に、道端に何かの鳥のひながいた。おそらく巣からなにかのトラブルで落っこちてしまったのであろう。親指の先ぐらいの大きさで、つぶらな瞳できょろきょろと辺りを見ていた。今日は雨上がりで気温も低かったので、少し震えているようだった。

私はこの事件を忘れることにした。理由は以下の通り。

・このひなにとっては不運ではあるが、この鳥全体にとっては今回のような事件は織り込み済のありふれたことであろう。

・もし私がこの鳥のひなを保護したところで無事に育つかどうかわからないし、育ったところでちゃんと巣立ちして野生で生きられるのか。

でも、なんだろう?? この心の痛みは。焼き鳥とか平気で食べるのにね^^

コメント

ありえすさん

2021年08月13日 14:48

1)関心が無い命:知らない生き物(養殖場の命とか、全く知らない人々とか)

2)関心がある命:自分の知っている生き物(知り合いとかペットとか)

1)の命に対して、私たちは徹底的に無関心になれるのはなぜ?

ありえすさん

2021年07月12日 15:40

ある生き物の命を「大切に思う」か「どうでもよいと思う」かの違いは、その生き物に自分がどれだけ関心を寄せているのかどうかで決まるのではないだろうか。

ありえすさん

2021年06月21日 10:09

先日、生まれたばかりの子猫(まだ目も開いていない、へその緒もついている)4匹が、ゴミ袋に入れられてゴミ収集場所に捨てられていたというニュースが報道されました。

猫大好きな私はこのニュースを見て、激しい怒りにかられ、この”犯人”を絶対に処罰すべきであると思いました。

でも想像ですが、おそらくこの”犯人”は、私が見捨てた鳥のひなと同じ感覚で、生まれたばかりの子猫を、ゴミ袋に入れて廃棄したのだと推察されます。

だとしたら、私にこの”犯人”を責める資格などないのだろう。

ありえすさん

2021年06月04日 15:11

以前、どっかの小学校で「命の大切さ」を学ぶためクラス全員で子豚を飼育していたそうです。ある日、子豚の姿が見えなくなり、その日の給食に豚肉メニューが出て来たそうな。
担任は、この肉はみんなで大切に育てたあの子豚さんです。ありがたくいただきましょう(ほほ笑み)と言ったか言わないとか。
感受性の強い子たちにPTSDを背負わせた大馬鹿教師の愚行はおいといて、でも、どうしてスーパーで売っている豚肉は平気で食べられるのだろう。。

ありえすさん

2021年05月22日 14:40

私がここで問題にしたいのは、命に対して「大切な命」と「大切ではない命」の区別があるのか、無いのかということです。

私は、道端に落ちた鳥のひなや、食用に養殖されている家畜の命に対しては、それはいわゆる「大切」では無いと判断しています。

でも、そう判断する理由はなんなんだろう。。それがギモンなのです。