富山の薬売りと薩摩の調所広郷。 植松三十里の「富山売薬薩摩組」

天保2年(1831年)、富山売薬の薩摩組代表である喜兵衛と仙蔵は藩から呼び出されます。薩摩組とは全国を売り歩く売薬商人の内、薩摩に向かう26人のこと。
富山藩第9代藩主・前田利幹臨席のもと、勘定奉行・富田兵部から命じられたのは、薩摩藩の大坂蔵屋敷で調所広郷(ずしょひろさと)に会えというものでした。そしてこのことは一切口外ならぬとの厳命も。

調所広郷は8代薩摩藩主島津重豪のもとで財政改革に辣腕を振るっている男です。薩摩藩の借金500万両を踏み倒した(金利無しで250年分割返済)とされていました。
薩摩は特殊な国、他国の者の入国を一切認めていない中、