今朝の地元新聞の投稿蘭に詩人の以倉紘平氏が寄稿
していた「沙羅の木陰の奇跡」を一読した。
私は先の「仏誕会」で釈尊はルンビニの無優樹の付近
で生まれたと記したがこれはサンスクリット語(主に
バラモン聖典に使用)で書かれた大乗経典の内容です。
中国大陸等から伝わった経典はサンスクリット語で
書かれたものを僧侶が漢字に翻訳したものです。
本題にもどりますが以倉氏はタイ語を専攻する娘さん
から指摘を受けて南伝仏教(上座部仏教)では生まれた時
も沙羅の木の木陰だったというのです。
日本を含む考古学調査隊がルンビニの摩耶堂の地下を
掘って20
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