金印は本物か

天明四年(1784)筑前国那珂郡役所に志賀島の甚兵衛という百姓が、田んぼの中から金印を発見したと届け出た。 「先月二十三日に、叶の崎というところの自分の所有地の水はけが悪かったので、修理していたところ、石の間から金の印判のようなものが出てきた」というのだ。

鑑定を依頼された福岡藩校「甘棠館(かんとうかん)」の館長で儒学者の亀井南冥は、中国の史書「後漢書・倭伝」に書かれた次の記事に注目する。

「建武中元二年、倭奴國奉貢朝賀、使人自稱大夫、倭國之極南界也。光武賜以印綬」

建武中元二年(57)、倭の奴国、貢を奉り朝賀す。使人、自ら太夫と称す。倭国の極南界