日向、児湯の大和。神武東征の考証



 神話において、日向に在った天照大御神の五世孫、神日本磐余彦命はこの国を治めるため、塩土老翁が語った東方に在る青山四方に周る美しき地を都とすべく、皇子たちと舟師(水軍)を帥(ひき)いて日向を発する。


 弥生期の考古において、日向は不毛の地、空白域ともされます。青銅器は無く、墓域も小規模なものしか検出されません。史学は当時の日向に軍事力を伴う勢力があった可能性は無いとして、日向より発したとする神武東征を否定します。
 が、弥生後期の日向中枢、一ツ瀬川流域に大量の鉄製武器を集積した大規模な遺跡がこつ然と現れます。日向、児湯(こゆ)郡の川床遺跡です。