天の原 ふりさけ見れば 春日なる三笠の山に 出でし月かも

針摺の瀬戸のお話。
その昔、有明海と玄界灘は太宰府市の針摺を瀬戸としてつながっていた。(儺の国の星)
そしてこの二つの海をつないでいた流れは「ありなれがわ」と呼ばれておりました。
ありなれがわとは天の川の古名です。
それが由来として七夕に関わる神社が筑紫野から筑後には祀られているようです。
翻って上記の歌をみると、この歌は大野城から三笠山(宝満山)を望んだ歌なのかもしれない。
そんな気がするわけです。
宝満山は春分の日の出が登る山で、春日に関わる祭祀線の出発点となります。
その祭祀線は糸島市の二丈田中の銚子塚古墳まで伸び、多数の古墳・神社が並びます。