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よくあるご質問

見識を持つ奈良時代の政治家、そして現代。…素浪人の『万葉集漫談』(136)

(136) ぬばたまの 黒髪変り 白けても
        痛き恋には 逢ふ時ありけり
          巻四・573 沙弥満誓(さみまんせい)
大意: 黒髪が白髪に変わるほど生き長らえる人生では、このように苦しまねばならぬほど、激しい恋心におちる時があるのですね

解説:大納言となって、都に帰る大伴旅人を見送る別れの歌です。恋は異性間のものと思われがちですが、ここは上司との惜別です。満誓(造筑紫観世音寺別当)他、大宰府の官人の多くと別れを惜しむ歌が交わされています。

こうして目出度く都へ帰任した旅人でしたが、翌731(天平3)年6月、67歳で亡くなります。

(136’) 朝霧の 消(け)やすき我が身 他国(ひとくに)に
        過ぎかてぬかも 親の目を欲り
       巻五・885 大伴熊凝(くまごり)・但し代作
大意: 朝霧のように消えやすい私の命であるが、こうして旅途中の他国で死ぬのでは死に切れません。一目だけでも(家に貧しく留守居をしている老いた)両親に会いたかった!

解説: 遠く肥後の国(熊本県益城)から奈良の都で催す相撲節会に出場するために、上京途次、安芸の国(広島県佐伯)の駅家で亡くなった力士の大伴熊凝に代わって大典麻田陽春が詠んだ歌です。
また、この歌の直後には山上憶良良が、熊凝は18歳の力士で、天平3年6月17日のことだったと、哀惜追悼した、長・短歌があります。
相撲はその昔、格闘技として相手を蹴殺したりした伝説がありますが、奈良時代にはルールと様式を備え、今日の国技の大相撲として伝わるものです。

(136’’)出でて行きし 日を数へつつ 今日今日と
     吾を待たすらむ 父母らはも
           巻五・890 山上憶良
解説: 家を出てから指折り数えて私の帰りを、待っているだろうなぁ両親は。という追悼歌を詠んだ、憶良の心根の優しさが目に見えるようです。

そして、この後に「貧窮問答の歌」として『万葉集』に名を残す憶良の長・短歌が続きます。

「雨風に混じって雪の降る寒夜に(食事らしい夕食も取れず)堅塩をかじり、糟汁をすすって過ごし…地べたに藁を敷いて妻子みんなが寒さに震え呻き身を寄せ合って寝る…そんな寝床に鞭を振り上げて里長が税の取り立てに怒鳴りこむ…」という長歌は、この時代の農民の生活像を描くし、律令制度の過酷な仕組みも窺がい知ることができます。

(136’’’)世間(よのなか)は 厭(う)しと恥(やさ)しと
             思へども
       飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
           巻五・893 山上憶良
解説: 世の中はどうしようもなく厭なところだが、鳥のように羽を持たぬ人間であってみれば、この世から飛び出し、立ち去ることも出来ぬ。という意味の歌を詠んで、当時の社会システムを批判しています。
憶良は筑前守(福岡県知事相当)の身分で、年収も1300万円位あったとされる人物(政治家・歌人)です。

現代、私たちは曲がりなりにも、豊かな生活をかち取って、こうした農民の苦しみからは、解放される時代を生きています。そして、一丁前に、政治を論じ、世界を論じ、人間性のあり方を考え、文言として発言しています。

多分、現代の政治家の中でも、庶民生活を思い、国の将来を考え、しかも現有の勢力関係から当惑しきっている、すぐれ人が居る筈です。
低俗な国会論議に明け暮れる国会議員や、近視眼的な目での批判のみで建設的な見識もない、マスコミの偏見に踊らされることがないよう、じっくりと心を据えて長い目で捉え、新しい時代の誕生を待つことにしたい気がします。

カテゴリ:ニュース・その他

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