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よくあるご質問

『般若心経』の骨子  (十四郎:私訳)

【3】[空]即是色

 さて、心経の中で次に考えねばならないものは何か、といえば、たぶんもう無いのではないでしょうか。
 「色即是空」と「掲帝 掲帝」が伝える二つのメッセージ。
 たった8文字のこの意味さえ確実に捉えられれば、あとは不要です。我々無知無信仰の人間にとっては、もうそれで十分過ぎるでしょう。
 はるか太古の昔に、恐るべき透視力をもって人間性を鋭く抉り出した先人たちの熱い思い。もはや永久にお目にかかれないその方々の今だ聞こえる息吹と、新鮮に脈打つ血管に出会えただけでも、仕合わせとすべきでしょう。
 思えば600巻の大般若経のエッセンスを、たった266文字に集約したのが『般若心経』でした。しかもこの『骨子』では惟の8文字で十分なのです。
 ひとまず、以上でいかがでしょうか。

 そこで蛇足かもしれませんが、色即是空に直結してつづく「空即是色」について、少し触れておきましょう。

    空即是色(くうそくぜしき)

 これはいったいどういう意味でしょうか。色には恒常不変の実態がないことは分かりました。では同じように考えれば、
    「恒常不変性が無いものすべてが、現象(色)なのだ」
ということでしょうか。
 しかし「逆は必ずしも真ならず」ですから、釈然としません。あるいは、
    「実態が無い故に、現象(色)といわれるのだ」
としても、まるでどら焼、あるいは三笠饅頭の返し焼きみたいで、何となく竜頭蛇尾の感じですね。
 じゃあ、一体この文句の意味は何なんだ? そしてこれが本当に心経に必要な文句なのか。この辺りがすっきりと得心できないと、心経を心から分かったとも云えないし、また本当に好きにもなれないでしょうね。

 さて、空の定義として、「色には恒常不変な実態はない」と理解し、そのまま「色即是空から空即是色」へと即決して導かれました。

 そこに「重大な落とし穴」は無かったでしょうか。

 もしこの空の定義が正しいとすれば、それは「定義という恒常不変性」を持ちます。その存在を否定した当の空そのものが、己だけは例外的に永遠不滅の真理なのだという。変だとは思いませんか? 明らかに自己矛盾ですね。
 もし定義だけは色ではないとすれば、それも在りかもしれません。しかし定義など、高が人の言葉で造られた思想、即ち「意」ではありませんか。意はりっぱに色の一つなのです。つまり空にも恒常不変性はあり得ません。ですから

    空即是空(くうそくぜくう)
    「『実態は無い』ということさえも、実態は無いのだ」

ということになります。
 これはちょうど前回、「掲帝 掲帝」で結論した
    「『休むべからず』にさえも、休むべからず」
という第二の絶対否定と同じ論法を適用します。つまり、

    「実態が在ろうと無かろうと関係ない。
    それがこの世なのだ。
    いや、何がこの世で、何があの世かも、
    何の保証も無いのだ。
    我々はただ、
    フラクタルの中を黙々と生きているのだ」

ってことですね。
 この「空を空じろ」という考え方は、広く禅宗などで云われています。しかしその基本として「空即是空」という言葉を立てたのは、たぶんわたしが初めてだと思います。(浅学のため、失礼があればお許し下さい)

 以上で「空即是色」を理解する準備ができました。
 ?色即是空と?空即是色の間に、上の言葉?空即是空を補ってみましょう。

? 色即是空     (色には恒常不変の実態は無く)
? 亦(やく)空即是空(又、無いという事の実態も無い)
? 故(こ)空即是色 (だから空は空であり、
               実態が在ろうと無かろうと
               そんなことはどうでもよく、
               色は「色」たれ)

 まあ、無責任なこと。沢庵和尚もこんな風に云ってます。

    柳は緑 花は紅 水面(みなも)に月は 通へども
       心もとどめず 影も残さず (筆者一部改変)

 ねえ、心経はいったい、何を云いたいんだろう……?

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