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★ 細川ガルシャとマリー・アントワネット/玉造界隈散策(大阪下町散策会)

アルバム写真のアドレス
http://smcb.jp/_as01?album_id=798788

私はフランス革命が並びの数字の1789年ということくらいは覚えていますが、歴史については知識がなく、特に日本の歴史についてはかなり疎いのです。

先日、マリーアントワネットの物語がテレビであり、彼女の母、マリア・テレジアから、引き継いだ日本製の漆器の飾り物・調度品をこよなく愛していたというのを観ました。その中で細川ガラシャの影響を受けているというクダリかありました。

フランス革命と日本の戦国時代、細川ガラシャが生きた時代とどのような関係なのか恥ずかしながら、分かりませんでした。

◆細川ガルシャ -------------  1563〜1600年 37歳没
◆マリア・テレジア ---------  1717〜1780年 63歳没
◆マリー・アントワネット ----- 1755〜1793年 38歳没

細川ガルシャが亡くなってから117年後に母テレジアが生まれ、155年後に娘のアントワネットが生まれていることになり、

そして、細川ガルシャをモデルにしたオペラ「気丈な貴婦人」(グラーシャ)の初演が1698年でした。
テレジアが生まれる20年も前に、既にこのオペラが流行っていたわけで、ガルシャのことは二人とも知っていたわけのようです。

細川ガラシャこと細川 珠(玉)は明智光秀の三女であったことから、父の謀反により
【散りぬべき時 知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ】という辞世の句のを詠んで潔く、自ら命を絶つのですが、花も人も散りどきを心得てこそ美しいのだ、という解釈をマリー・アントワネットも知っていたようで、ほぼ同じ年齢にどちらも人生の最期を自ら覚悟して逝ったようです。

折しも、このガラシャの句の碑が【越中井】と云う細川越中守忠興の邸跡の井戸にあることを知り、この趣味人倶楽部の大阪下町散策会コミュのイベントがあり、昨日(21)に参加いたしました。

また、この細川家の屋敷跡という由縁の大阪カテドラル聖マリア大聖堂「大阪玉造カトリック教会」があり、細川ガラシャや高山右近やマリアと羊飼いの像や堂本印象による壁画がありました。

 なお、散策会の行程は、玉造界隈の真田幸村出丸城跡のある心眼寺や玉造稲荷神社、浄瑠璃の「かかさんの名は弓・・・」お鶴の善福寺等を回り空堀商店街まで歩きました。

写真も是非ご覧ください。

http://smcb.jp/_as01?album_id=798788

カテゴリ:アート・文化

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