趣味でつながる、仲間ができる、大人世代のSNS、趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)

よくあるご質問

1、スペイン・旅の始まり

今やヨーロッパの片隅、というイメージの強いイベリア半島の光と影の国・スペイン。
 古くから「ピレネーの向こうはアフリカ」と西ヨーロッパの人に言われ続けてきたのも単なるスペインに対する侮蔑や誇張でもなく、アフリカに似た自然と歴史を踏まえた表現だろう。褐色の無機的な台地が果てしなく続く荒野。ドン・キホーテの姿を髣髴とさせる。
 古代ギリシャの英雄ヘラクレスは「ネ・プルス・ウルトラ(これから先【大西洋】には何もない)」と言ったと伝えられているが、15世紀の末、コロンブスはこのラテン語の「ネ(ない)」を除いた「プルス・ウルトラ(もっと先へ)」と西へ西へと向って新大陸アメリカを発見した。このことがスペインに陽の沈まぬ国家の繁栄を齎し、そして没落への歴史を辿る。
 それ以前の8世紀初めから15世紀末までの781年間は、アフリカから来たサラセン人がイスラム文化を最高に花開かせた舞台でもあり、建築を中心とした文化をよく保存し、キリスト教国の中で共生・共存させてきた稀有の国、それがスペインでもあるのだ。

 6月16日、札幌は晴天。今が最も緑の濃い美しい街中をタクシーで札幌駅へ向かう。
 成田発ブリティッシュ・エアウェイズBA0006便は10:55発で、当然札幌からは当日では間に合わず、成田で前泊。
 6月17日、8時55分ターミナルビル3階のカウンターへ。手続きを済ませて出発ラウンジに入り、同行するF夫妻と再会を喜んだ。
 ヒースロー空港経由(現地時間18:30着)でマドリーのバラハス空港に向かうのだが、相変わらずヒースロー空港はテロ対策でチェックが厳しく、出発の1時間前にならなければ出発ゲートも掲示されない。それでなくてもイベリア航空便の出発遅れで(21:20発)、到着地マドリーに着いたのは時差も1時間あって23:45、ホテルロビーに腰を下ろしたのは0:55であった。実に長い一日。
 上空から見たマドリーの街は、黄色の光りが煌々と輝いていた。バスの中から見たのは、スペイン首都の花の金曜日。ただでさえ夜の遅いスペイン人は、この時刻になっても店の前にテーブルを並べるなど、「さあ、飲むぞ」という雰囲気がありありと見て取れた。

 時間のあったヒースロー空港で、添乗員のH・I子さんから改めて挨拶があった。
  4つのお願いと言われ、?スリや置き引きに気をつけてほしい。海外に出ると命の次に大事なパスポートを失くさないようにと。現地では50万円で取引されているという。
?時間の厳守。?何事も我慢しないで、思ったとき何でもすぐ言ってほしい。帰りの飛行機の中で「あの時こうして欲しかった」はダメ。?愉しく過ごすために健康管理を。
 さすがにJTBが定めた添乗3,000日以上の呼称「グランドマスター添乗員」、尊称だ。自ら「トラブルに強いI子さん」と称し、「完璧に皆様をフォローします」と言われる。
  このことだけではなく、実によく気の付く人であった。飛行機から降りると、さり気なく飴を配って脳への栄養補給と寛ぎを。食事の時、これにちょっぴり醤油があったら、と思った人の前にはさっと出しているし、機内での乾燥防止にと全員にマスクを配ったり、お土産のワインなど割れ物防止にクッションを大量に用意していたり、一番驚いたのは、ヒースローに着いたときには既に全員の顔と名前を覚えていたことだった。
 ツアーの参加者は18名。5組のカップル、一組の可愛い新婚さん。他は似たような年代ながら私たちは最年長ではなさそうだ。二組の姉妹のうち一組は70歳代だろう。そして母と43歳の娘の組、更に大学の同期生という二人の女性も私より年上と見えた。
 震災後は、2人、4人、8人という淋しいツアーが続き、今回久々の大人数だという。
 そして添乗員のI子さん(参加者に対してもファーストネームで)は、広島生まれで沖縄に在住。沖縄に住んでいるのは、障害をもった子どもたちに泳ぎを教えるなどのボランティア活動をするのにいいところだからと、またフォスターペアレントもされている。
 目はクリリと実に若々しく、力持ちで明るいお人柄だ。このツアーの愉しさはI子さんのキャラクターに負うところも大きかったのではないかとつくづく思う。
 以下、日程に添って思い出しながら書き綴っていこうと思う。成田空港の売店で求めた歩数計の初日は、3,233歩。

 写真中央は深夜のバラハス空港。右はアルハンブラ宮殿メスアールの間に架けられていたコロンブスの標語、「PLVS VLTRE もっと先へ」と読み取れる。

カテゴリ:ニュース・その他

コメント

コメントはログインすると見られるようになります。