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よくあるご質問

12、『ドン・キホーテ』

ローマのスペイン広場はスペイン大使館があるからそう命名されているのだが、マドリーでは、1915年に政治中心の広場が欲しいと公募によるコンクールで、このスペイン広場のモニュメントが決まったのだという。
 「スペインと言えばドン・キホーテ」というわけで、時あたかもセルバンテス没後300周年(1616年没)にあたっていた。
 世界で聖書に次ぐベストセラーは『ドン・キホーテ』だそうで、70カ国語に訳されているという。私も名前など朧に知っているという程度で、もちろん読んではいない。
 スペインのどの家庭の書棚にも、聖書の横に同じ革張りの立派な『ドン・キホーテ』が並んでいるのだというが、日本人の『源氏物語』と同じように、完読した人は稀だそうだ。
 正式書名は『ドン・キホーテ(機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ)』前編が1605年1月にマドリーで出版され、1615年出版の後編では(機知に富んだ郷士)が(機知に富んだ騎士)に格上げになっているという。
 ≪作者のミゲル・デ・セルバンテスは、貧しい外科医の息子に生まれ、22歳のときイタリアに渡って兵士となり、レパントの海戦(オスマン帝国軍とキリスト教諸国との戦いで、キリスト教国が大勝利)で左手を失う。その後、トルコの海賊に捕らえられ、アルジェで5年間虜囚生活を送る。33歳で帰国し悲惨な生活を強いられたが、『ドン・キホーテ』で成功を収める。 以来死ぬまでの10年間、数々の作品を発表。スペインの黄金世紀を代表する作家であると同時に、近代小説の祖とされる≫と、週刊朝日百科にある。
 ラ・マンチャ地方の片田舎に五十がらみの紳士アロンソ・キハーノが、騎士道物語を読みすぎて狂気に囚われる。そして英雄的な主人公に憧れ、自ら中世の騎士道を実践しようと思い立つ。古ぼけた甲冑に身を固めて郷士ドン・キホーテと名乗り、隣町の田舎娘を思って姫ドゥルシネーアに仕立て上げ、近所の百姓サンチョ・パンサを従士にし、痩せ馬ロシナンテに跨って遍歴の旅に出る。数々のエピソードを重ね、サンチョ・パンサはバラタリア島領主に就任し、最後にバルセロナで「銀月の騎士」との決闘に敗れたドン・キホーテは遍歴の騎士をやめて故里に帰り、病の床で夢から醒めて元のアロンソ・キハーノに戻って死ぬ、というのが筋。
 『ドン・キホーテ』が世に出たのは、ちょうど16世紀に「太陽の沈むことのない」大帝国スペインが急速に衰退していった時期。カトリックによる世界制覇という英雄的願望に翻弄され、無茶な戦争を繰り返したスペインが、次第に身をすり減らして衰えつつあったときだ。
 セルバンテスも祖国と同じ全盛期と衰退という運命を辿る。英雄的な活躍をした前半生と、徴税吏という小市民的な生業と牢獄につながれるという反英雄的な後半生。
 あの熱狂的行為が純粋であり、それゆえ美しいものであった、と過去を否定すると同時に肯定し、彼は泣きながら微笑んだのではないか。
 と牛島信明東京外語大教授は指摘する。
 モニュメントは、一段高いところからセルバンテスがわが子の行く末を案じるように、慈愛をもって見守る。
 二人の左右には姫ドゥルシネーアが、向かって左側はドン・キホーテの思い描く姫の姿が、そして右の女性像は、現実的なサンチョ・パンサが見る篩を持った百姓女の姿。
 モニュメントのてっぺんには地球を掲げた5人の女性、五大陸で読まれていることを示しているのだという。

 カスティーリア・ラ・マンチャの「さる村」エル・トポーソは、姫ドゥルシネーアが住む村とされ、そのエル・トポーソはプエブロ・デ・マラ・ムエルテという名の村だそう。
 1922年にこの村の村長だったドン・ハイメ・パントーホ・イ・モラーレスは、何とかこの村を世界に知らしめたいと、世界各国の元首、首相に手紙を書き、その国で出版されている『ドン・キホーテ』の寄贈を依頼したのだという。村起こしは大きな反響を呼んで本が殺到して「ドン・キホーテ図書館」ができた。日本語訳の中には、昭和7年から9年まで総理大臣を務めて2・26事件で暗殺された子爵斉藤實との署名のものと、徳田秋声のサイン本、そして日本大使館からの2冊と、中丸明氏の寄贈した本があるという。

 モニュメントの背後に立つ左右対称の建物は、このモニュメントの景観を損ねないようにとの設計で許可されたものだが、バブルが弾けてからは全くの空き家になっているとのこと。
 モニュメントを背景に写真を取り合った。日本ではカメラに向かって「チーズ!」だが、スペインでは「パタタ!(ジャガイモ)」と言うのだそうだ。

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